【2002年】 佐藤喜作さんの仁頃山エッセー 『新登山道の開設』(前編)    

記事中の写真は、当時「経済の伝書鳩」に掲載された写真を入手できないため手持ちの適当な写真としましたのでご了承ください。

〔1〕夢・実現への第一歩 本当にできるのか?

東尾根の上部稜線 2013年2月2日撮影

「新たな登山道をつくるなんて・・・本当にできるのか?」

仁頃山の頂上から東西に延びる長大な尾根筋に単なる山ファンの素人達が密生する笹を刈って登山道をつけようと言うのであるから、誰もが抱いたこの疑問は当然のことであった。

加えて仁頃山にはすでに四ルートの登山路があり、これ以上増やす必要はないとの指摘も、もっともな意見である。

だが「美しい頂上と稜線を見ながら歩ける登山路を開き、より多くの人に楽しんでほしい」との一点で夢は膨らむばかり。そしてこのとんでもない構想に共鳴して広がった山仲間の輪と団結のもとにルートの開設作業が始まり、新登山道を開通させることができた。

東尾根・西尾根道は頂上までそれぞれ6キロの道のり、要所の景勝地で目にする雄大な眺望は、必ずや登山者の心を癒してくれるはずである。

深い笹原と樹海の中に伸びる曲がりくねった一筋の登山路。これはひたすらに夢の実現に立ち向かい、あ溢れるばかりの情熱で突進した山仲間の勝利の道である。

もし、この道筋の落ち葉や土を口に含んだとしたら、したたり落ちた苦労と喜びの汗がにじんでして、塩辛いかもしれない。

仁頃高原展望台からの仁頃山 2018年4月30日撮影

振りかえれば今年三月の積雪期、かねてより構想を練り重ねてきた東尾根に登山路開設の可能性を探るかんじき歩きをしたのが、実際行動の始まりであった。

雪の締まった真っ白な樹海の斜面を歩くこと数回、東尾根のすそのから造林地の中尾根を突破して富里湖畔の道路につなぐ最善のルートを求めて試行錯誤を繰り返す。また、三月の中旬には仁頃山を管理する森林機関に新ルートの構想を説明し、テープ付けだけの作業とする当面の行為について了承を得た。

このことにより三月の末から四月中旬にかけて、仁頃山に私と同じ思いを寄せていた作田博行さんと常連登山者の数人を誘って仲間とし、白い樹海のかんじき歩き楽しみながら実質的なテープ付けを開始する。

東尾根が終われば次は西尾根。連日の歩きも苦労ではなかった。やがて残雪をたのみにした第一ステップのルート工作は終わった。

【平成14年11月7日(木)掲載】

〔2〕山ファンの愛好会発足
28人でボランティア団体スタート

2009年当時の山頂標識 2009年6月1日撮影

仁頃山の地域は国有林であり、国土の保全などを目的として森林機関が管理している。そこに、新しい登山道をを開こうとするからには、その必要と有益性を理解してもらわねばならない。

そのため、口頭での構想説明とともに裏付けとなる企画書の作成が急がれた。しかし、手持ちの資料は冬山のものばかりで、夏道開設のアピールには不十分。よって、五月の上旬に夏山模様を写真におさめる笹こぎの歩きを繰り返す。

東尾根・西尾根にテープを取り付けた道路は、すでに雪が消えて密生する太い笹が背を立て直しており、とても歩きにくい。カメラを手に胸まで没する笹原をこぎ分けるはめになるが、恐ろしさや不安は少しも感じなかった。

もちろん、自然林を歩く当然の心得としてクマ除けの鈴を身に付け、時折には警笛を吹いて自衛の対策をとる。でも、一歩ごとに踏み分けないと進めない笹原では、クマも寄り付かないと思っていた。むしろ、この山で警戒すべきはダニの付着であるが、発生の時期にはまだ早い。

眼下に広がる笹原と東尾根と中間尾根 2014年9月20日撮影

新道開設にかかる構想の企画案をもって、森林機関にお願いすることが、次になすべき第二のステップ。でも当方の趣旨と熱意は理解されても、その実行には様々な手続きと問題があった。まして、一介の山ファンに過ぎない者の主張を軽々しく受け入れられないのは、当然のことであろう。

仁頃山は水源かん養と土砂流出防止等の保安林として指定され、そこに登山道を開くためには道知事の許可が必要。一個人の立場でいかに力説しても打開できることではない。交渉の窓口となった森林機関の北見森林経営センターから、親切丁寧な指導と助言を受け、関係機関に支援とリードをお願いした。

一方、新道開設の動きを知る多くの山ファンには、現段階での情報などを頂上に設けた連絡箱に置き添える。

その後、新登山道の構想は自分達で解決するしかないとの情勢に至り、七月に入って、山仲間と理解者二十八名からなるボランティア団体「仁頃山愛好会」を発足させた。

そして八月、網走中部森林管理署との協定のもとに、保安林内での作業行為を申請。

あとは許可されるのを待つだけとなった。

【平成14年11月14日(木)掲載】

〔3〕作業体制整う 北海道知事から許可が下りる

2009年当時の東登山口 2009年5月20日撮影

仁頃山新登山道の開設にかかる作業行為について、道知事の許可がおりる見通しがついたからこそ言えることがあった。

法的な手続きの面の難航を知り、関係する周囲の意見意見を探っていた幾人かの仲間達からは、弱気な見解も出ていたからである。

「当分は我々だけの雪道歩きで楽しむしかない。そして、新しい登山道をつけてほしいとの声が高まるのを待って交渉しよう」

でも、新登山道の構想を持ちかけて期待を抱かせた多くの人達から、その後の経過を聞かれるのはつらく、また、私自身にも気長に構えて待てるほどの体力的な残り時間は少ない。有言実行、この構想は何が何でもやり遂げねばならなかった。

仲間とともに大きく描いた夢の灯を絶対に絶やすことはできない。

手続き上の必要なスタンバイを終えて、許可がおりるのを待つだけとなった時点でも、他にすべきことはいくらでもある。

最終的なルートの手直しと確認を渡部豊、礼子夫妻と慎重に行うかたわら、作業用具の確保は作田博行さんと尾田美保さんが担当するなど、会員の取り組み意欲も日に日に高まりを見せてくる。

2002年11月21日の経済の伝書鳩に掲載された画像をスキャンした、作業開始前セレモニーの様子です。

そして八月下旬、北見森林経営センターから許可になったとの連絡をうけた。ついに新登山道開設作業のゴーサインが出たのである。加えて、お願いしていた作業用具の貸与についても配慮していただけたからこそ、胸が熱くなり感謝するばかりであった。

一方、仁頃山愛好会の会員もボランティア活動の趣旨に理解を寄せる人が増え、六十人となっていた。許可された作業期間は十月末日までの二ヵ月で、その初日の九月一日から開設作業に取りかかることとする。

呼び掛けに応じてくれた二十一人の会員が、東尾根道への出発地となる富里湖森林公園の第二駐車場展望台に集まって勢揃い。森林経営センター所長の挨拶を受けた後、一同が作業の成功と無事故を願い仁頃山の神に心からの祈願をした。

思えば、この日がくるのをどれほど待ち夢見ていたことか・・・。集まったそれぞれの顔には、新しい登山道を開くという意気込みと誇らしさが満ちあふれていた。こうして作業が始まったのである。

【平成14年11月21日(木)掲載】

〔4〕大成果の初日作業 積極的姿勢と熱意で

2009年当時の東尾根分岐の標識 2009年5月20日撮影

東西の尾根筋に開設する新しい登山道の作業は、まず東側から始めることとした。

頂上までのルートはおよそ五キロの長路線。富里湖畔の北見市道を登山口とする東登山道を八百メートルほど登った第一番目の稜線が東尾根道の分岐となる入口。

それからの道筋は、峰をかわした北斜面を一気に下って仁頃支流川の枝沢に至り、さらに造林地の中間尾根を登り越え、小河川を渡渉して富里林道に出る。そして、道幅の広い林道歩きをしてから本命の尾根筋にとりついて頂上へ向かう。入口の分岐から尾根の取りつきまで約二キロ。初日の作業がどこまで進めるかは分からない。

大鎌と手鎌、鍬を手にした男女二十一人の一行が、東新道を登りだした様子は実に壮観であり、感激でもあった。残暑の時期とあって多少は高めの気温ながら、明るい曇り空がボランティアの一行をやさしく包み抱いてくれるよう。

北斜面の下りから中尾根の稜線までは、造林、造材のブル道利用で、生い茂る青草と灌木(かんぼく)を刈り払う作業であるから、集団の姿はぐいぐいと先に進む。そして、中尾根の造林急斜面では冬に付けたピンクのテープに沿ってジグザク路線を開いて行く。

富里林道と合流する地点の休憩所。登山道の開設時には橋のある方向への登山路は無かった。 2009年5月20日撮影 

富里林道の広場で歓談の昼食をしてから、この日の目標とした東尾根の取りつきまでブル道の刈り払いも午後二時には終わった。樹海をくぐり抜ける二キロの長路も集団の汗と力で、あっという間にきれいになった感じであった。

今後、多少の手直しを要するとしても初日の作業は大成功。それぞれの積極的な姿勢と熱意には大拍手、大感激である。思えば、湖畔口から尾根の取りつきまでのルート設定には、仲間とともに雪山と笹こぎなどで幾度歩いたことか。道をつけやすい最短距離のルート求めて試行錯誤を繰り返し、誘導のテープを付け直したのであった。

この初日の作業成果に目の潤(うる)みが生じたとしても理解していただけよう。

だか新登山道を開く全体構想からすれば、これはほんの序の口。喜びを語り合う山ファンの面々も、この先に延々として続く笹刈り作業の困難性を、まだ知らなかったのであった。

【平成14年11月29日(金)掲載】


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