【2002年】 佐藤喜作さんの仁頃山エッセー 『新登山道の開設』(後編)    

記事中の写真は、当時「経済の伝書鳩」に掲載された写真を入手できないため手持ちの適当な写真としましたのでご了承ください。

〔5〕素人達の笹刈り挑戦 ついに一方が仮開通

東尾根の655m標高点付近から上部はササの勢力が今でも強い 2020年4月30日撮影

東尾根道を開く二日目からの作業は、管理車道に合流する九合目半を分岐として、笹をかりながら麓へと下る行程にした。

作業用具は、大ガマと鍬(くわ)のほか、尾田美保さんと作田博行さんが用意した混合油を燃料とする刈り払い機が二台。このお二人が、職場勤務の立場から常時の参加ができないため、素人達が機械作業を受け持って路線の先陣作業をするしかない。

私としても操作の経験はおろか機械にふれたことすらない全くの素人であるため、その道のベテランから要領と安全対策の心得などを教え受けた。また、作業での体力消耗を予想して、管理車道での頂上往復には車によっての移動としたが、これが何とも釈然としない。

歩くのが当然の登山道を、作業のためとはいえ車に乗るのは違和感が強く、まして、登山者の姿を追い越す場面では、避難の視線を浴びてるようでたまらなく切なかった。今、この紙上をかり釈明とお詫びを申し上げる。

655m標高点から一度下がり上部稜線へと向かう今でも笹の密度が高い地点 2020年4月30日撮影

東尾根の上腹地帯に密生する笹は、思う以上に密度が高く、そして太い。素人の刈り跡を整備しながら登山道として仕上げる作業は、並の労力ではかなわない。そのうえ、二十七度の暑さを記録する日もあって、それぞれが全身汗まみれとして奮闘する日が続いた。

一日の作業が二百メートル、三百メートルと確実に距離を延ばして嬉しさが増幅する反面、頂上に置いた車のへの戻り道が、疲れた体に鞭打つようである。一歩ごとに、ゆっくりと登り帰る道先に、刈り払われて解放された太い笹の根がしっかりと起き立ち、踏み歩く足を迎え撃つごとくの故であった。

笹刈りを始めて四日目には、経験の豊富な小池正道さん、十二日目には奥村悟さんが応援に来てくれて、本当に「感謝」、「感謝」である。

さらに、作業途中の新道を幾人かの方が訪れてくれたことも励みとなった。ともあれ、日を重ねるに従って距離は延び、ついには初日作業の東尾根取りつき地点とドッキング。一同が心を一つにして取り組んだ東尾根道が一本の道として結ばれた。

実質十五日間、延べ九十人の手によって、樹海の尾根筋をくぐり抜け、笹原の高原を歩く新登山道の一方が仮開通したのである。

【平成14年12月5日(木)掲載】

〔6〕心ときめく西尾根作業
美しい眺望の景勝地が随所に

奥新道と西尾根道の分岐地点  2020年5月26日撮影

九月二十日、前日に東尾根道を開通させた喜びの余韻を胸に抱いて、西尾根道の作業へと転進する。

「何か・・・わくわくするような気分ですネ。」頂上へ上る車中での会話であるが、誰もが同じ感慨にひたっていただろう。十五日間に及ぶ東の作業で疲れがあるはずなのに、新たな気持ちが気力と体力を奮い立たせているようである。

想定した西尾根道は、駒の沢林道の奥から山頂とは反対方向の斜面を一気に急登して稜線に上がり、アップダウンを繰り返す尾根筋を渡り歩いて奥新道の登山ルートに合流させる長路である。当初の作業は、東と同様に車で頂上に上がり、稜線を順次刈り下がる行程とした。

頂上から奥新道を約四百メートル下った地点が尾根道の分岐となり、密度の濃い笹刈り作業は依然、変わらない。だが、取り組む人の体制とそれぞれの作業要領は、とすっかり変わり、板についていた。東で苦労した十五日間の貴重な体験から、自然に技術を会得したようである。

西尾根道からの仁頃山眺望 2021年9月20日撮影

作田さんが用意した二台の刈り払い機に加えて、三台の機械が先陣の粗刈り、続く底刈り、そして仕上げの体系で並ぶ。その間には刈られた笹をよけ払う人が入り、最後には路面の仕上げと続くから、まるでプロ並みの手際の良さであった。

機械担当の男手が少ない日は、渡部礼子さんが操作し、その顔には自信と喜びが満ち溢れている。「まるで竜が寝そべっているようだ」と表現した仲間のいう通り、曲がりくねった起伏の多い尾根筋は、美しい仁頃山を眺望する景勝地を随所に有する。

そして、作業に取り組む人達の胸を「今日はそこまで・・・。明日はあそこまで・・・」と、ときめかせるのである。

西尾根の作業も、距離が伸びた九日目は、駒の沢林道の先端から作業路へと笹こぎで上がる。翌十日目から相内林道の支線を基点として刈り進み、先の路線につなげようと猛突進をする。

十月を迎える時期、許可の期間は十分にあるが、作業を急いだ理由は、やがて訪れる寒さと雪を回避することである。十月三日に西尾根の路線をつなぎ、翌四日には雨と闘って最後の斜面を開き、全面的な仮開通の喜びに到達することができた。

【平成14年12月12日(木)掲載】

〔7〕情熱と汗のにじむ道

西尾根道からの仁頃山山頂 2018年10月5日撮影

仁頃山を大きく周回する東西の尾根道は、笹刈りなどを終え一筋の道として誕生した。だが、登山道としての形はできたが、体裁を整える作業はこれからである。

その手始めは、生まれたばかりの新道の計測であり、正確な距離を把握してガイド資料としなければならない。登山開始の起点位置から、けん縄(計測具)を使って頂上までの総距離を測量する。そして、開設した尾根道には、百メートルごとに距離表示の板を設置した。使用した百数十枚の板は、奥村加代子さんからの提供で、八十歳のおじいちゃんが作ったのだと聞き、陰の支援者に感謝している。

100mごとに設置された里程標識。古いものは随時更新されています。  2017年6月6日 一の沢で撮影

次にすべき作業は、新道の登山で目安となる標準タイムの策定。「より多くの人に楽しんでほしい」をモットーとした登山路であるから、上級者のタイムでは採用できない。

この作業の参加者には、初心者以上で健脚者以下の歩速を要求したが、ベテランばかりであるから自然と足が早くなり、これを抑える言外(げんがい=言葉に表されていないところ)の苦労もした。

新登山道の仕上げは、案内標識の設置である。登山口と下山口はいうまでもなく、尾根道で出会い、交差する林道やブル道の要所には是非とも付けなければならない。この作業には、当初からの課題として提案していたところ、夏の仁頃山登山で知り合いを得た真壁建具製作所(東相内)のご主人から、資材提供の支援を受けることができた。

標識版に相応しいイチイ材などを、わざわざ製材してくれたほか、防腐剤を使った支柱など、膨大な資材の支援には嬉しさを示して感謝するしかない。そして、案内板の彫り込みは、作田さんと渡部豊、礼子さん。誘導版の標識は藤原ケイ子さんが分担し、これらを尾田さんが組み立てる。

さらに、これからのボランティア活動に共鳴された大内医院の先生から、激励の支援をいただき、見事な標識を立てることができた。その後も路線の補修作業を続けて、夢に描いた東西の新尾根道は完成となり実現した。

管理車道5合目の積雪  2013年10月19日撮影

実質三十四日間、延べ百九十八人の多くの理解者の情熱と汗が、この道にはにじんでいる。

十月二十三日。仁頃山の山頂に立つ菊田順子さんから携帯での連絡が入る。
「頂上は雪で真っ白ですョ」・・・と。(完)

【平成14年12月19日(木)掲載】


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